竹中 日記

竹中哲郎です。日々のことをつれづれと。

生きるということ。ある世界に生きる少女たちの不条理さを描く。

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おはこんばん竹中!^_^

竹名哲郎です。

寒いです。インキャは本でも読んでます。

読んだのはこの作品、カズオイシグロ氏の「わたしを離さないで」ですねぇ。まぁ少し前に読んだんですが、鬼殺し片手に書いていきますか。イイヨォッ!^_^



英題はNever let me go です。




さて、知らない人のためにあらすじをまとめてみました。(読み飛ばしていただいて、結構です。^_^)


1

主人公は優秀な介護人、キャシー。彼女の回想で、物語は描かれます。癇癪持ちのせいで、いじめられっ子のトミー、リーダー格の気の強い親友のルース、そしてキャシー。主体は3人です。彼女らの生活する、「ヘールシャム」という学校にはある秘密がありました。そこは「臓器提供のためのクローン」を育てる場所ということ。彼女たちはそれを知っているようで知りません。

彼女は幼年期のたくさんの思い出を回顧します。

保護管(先生)の存在や、工作や芸術に力を入れた授業、また彼女たちが作った作品を「マダム」と呼ばれる女性が押収して開く、展覧会。マダムは謎に満ちた人物で、何故か彼女たちのことを怖がっています。


ある日、キャシーは「never let me go(わたしを離さないで)」というカセットテープを流しつつ体を揺らしていました。いつものように、その歌の歌詞に「赤ちゃんの産めないお母さんがついに赤ちゃんを授かり、幸せに胸に抱いている。しかし、赤ちゃんがいなくなってしまうのでないかという一抹の不安」という自己流の解釈を交えて、です。その日違ったのは、マダムがそれを開いたドアの隙間から見て、涙を流していたことでした。

これは、強くキャシーの記憶に残ります。


あとはトミーとルースが恋人になったり、15歳で保護管から「臓器提供」のことをはっきり明言されたりしますね。


2

16歳にり、舞台は学校から農場のコテージへ。つまり、学校を卒業したんです。

(ここから、だいぶ端折ります)


3人は「恋人同士の場合、臓器提供するまでの期間を猶予してもらえる事案があること」を耳にします。

トミーとキャシーは、二人が愛し合っていることを証明できたら、猶予してもらえるのではないか?という結論に至ります。(だからといって、トミーとキャシーは恋人同士ではないのですが)


なんやかんやあって、3人は仲違いしました。


3


キャシーは、提供者の介護をする、介護人になりました。提供をしたせいでふらふらになったルースの介護人も努めます。


まあなんやかんやあって、3人は仲直りします。


なんやかんやあって、ルースは提供のため、使命を終え、死にます。


「提供期間の猶予」をしてもらうため、マダムの家を訪れたキャシーとトム。しかしそんな話はただの絵空事でした。


何日も経って、トムは臓器提供をし、その使命を終えます。キャシーは介護人として各地へ赴き、、的な感じで終わりました。




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なんとも言えない終わり方ですねぇ。^_^

この話はキャシーにとっての理想の形、ハッピーエンドではありません。クローン技術が合法化された世界のなんとも言えないリアルさが後に残ります。あえてハッピーエンドを追求しない感じがリアルです。


この本の主題として描かれているのはやはり、「クローン人間の生き様」ですね。この物語は、そんな提供者である彼女たちの物語です。物語は主人公であるキャシーの淡々とした語り口で進んで行きます。

これが本当にすごい。竹中もヘールシャムの一員で、彼女たちの隣で過ごしてきた過去があるように話が入ってくるんです。

彼女の言葉はちょうど、水と混ぜた絵の具が画用紙に、じわ、じわとにじむように、読者の心にしみ込んいきます。




作中、面白い言葉が出てきました。

「教わっているようで、教わっていない。」

なんともどっちつかなさのある言葉です。しかし、世の中にはそういうことがたくさんありますね。例えば、性のことです。ぼんやりとした輪郭は知らないうちに持っているものです。ただ、初めて授業で「教わって」、はっきりとするだけです。



キャシーの回想もその一例ですねぇ。^_^

回想の中で、キャシーは初めから「臓器提供のために作られた子供たち」と言っているわけではありません。しかし、回想が進むにつれて、わたしたちはぼんやり、じわじわとこのヘールシャムが何なのか、彼女たちが何なのかを理解していきます。彼女の回想で、はっきりと「臓器提供」の話が明言されるのは、物語の真ん中ぐらいでしょうか。しかし、だいぶ、前の方から、わたしたちは彼女たちが臓器提供のためよクローンであることを知っています。


トムの、「教わっているようで、教わっていない」というのは、トムらが「臓器のために作られたクローンだということを」という意味ですが、それは私たちにも、理解できますねぇ。^_^「教わっているようで、教わっていない。」この物語では重要なポイントの1つです。




さて、自分が提供のためだけの人間、と暗に理解している、彼女たちなんですけども、その運命に絶望したり、抵抗しようとは、しないんですねぇ。^_^(ただ一人、抵抗しようとしてる人物がいるとすれば、トムです)ただ、その運命を受け入れ、提供という使命を全うしようとするんです。

回想中に、「(臓器提供の)猶予期間」というものが出てきます。抵抗といえるのはここくらいでしょうか。





いやしかし、この話、本当に緻密なんですねぇ。キャシー、トム、ルースを筆頭に、登場人物の心情や、距離感の描かれ方がすごい。このイシグロおじさんは、本当は女の子だったんじゃないかと思えるぐらい、細かいんですよぉ。幼い頃、一度や二度感じた気持ちや友人との距離感が蘇ります。竹中も、女の子、なのかもしれませんねぇ。



この本のタイトルでもある「わたしを離さないで」は、だいぶ前半の方に回想で出てきました。とても印象深かいシーンです。まぁ気になる人は読んでみてくださいよ^_^(めんどくさい^_^)





さいごに!^_^



この物語は少女のための優しいお話でもなく、勇気を奮い立たせるような冒険の話でもありません。「クローン技術に警鐘を鳴らしている!」という内容でもありません。(しかし、クローン技術が問題視された時、この本が注目されることは明白でしょうね。)


ただ、ただ、その世界がそこにあって、その世界の割れ目から落ちた雫をもらってきたような物語です。この世界で、ある少女はこのように生きた、という物語です。


読後にはなんとも言えない、モヤモヤした不条理さが後に残ります。それは私が、普通の人間だからかもしれませんねぇ。^_^

あなたが、もし彼女らと同じ提供者なら、どう生きますか。^_^



〈竹ちゃんこぼれ話〉

バナナフィッシュにハマりました〜

鬼殺しの代わりにバナナフィッシュのスムージー?(若い子はそういう飲み物が好きなのか?)を買おうと思ったのですがありませんでした。ローソンさん、ダメ、ですよぉ。^_^

代わりに豆乳バナナスムージーを購入。しかし、あまり美味しくなかったですねぇ。

まあ何が言いたいというと、バナナフィッシュが最高だということですね。

ちな!竹中は、鬼殺し片手に鑑賞いたしました!

皆さまよい年末を!

竹ちゃんでした^_^

ブログはじめました!

寒くなってきていますね。

冬がやっと実感できる、そんな冷たさです。


みなさん、いかがお過ごしでしょうか?^_^

僕はこたつで、鬼殺しの日々です。お酒が美味しく飲める、季節ですねえ。^_^


このブログでは、僕の毎日や、おすすめの商品などを紹介していきたいですねえ。なう。